2007/01/23
[ArM] Conflict in Order of Hermes
[ArM] Re^2: Curse of the Pink Dot のコメントへのフォロー。
なんかVampire.Sにいさま氏が議論につきあってくれる様(大変感謝しております)なので、この機会に色々疑問点をはっきりさせようと思っていたりします。
> ArMにおいて、Magi同士の交戦はほとんど発生しません。
えーと、ほとんどのMagiが戦闘に参加しないというのは認めてもいいと私も思います。
一方で、「日常生活で滅多に起きない事」をシナリオとして扱う訳ですよね?世界にOoHのMagiが約1,000人いて、そのうち、990人にとっては戦闘は起きないと仮定していいのかもしれない。でもPCというのは不運な残りの10人であり、なればこそsagaの主人公なのだという考え方もあります。一生を平穏無事なLab workだけで過ごすならば、RPGとして遊ぶ必要はない --- それって単なるキャラメークじゃん --- みたいな。
そう考えると、「原理的に戦闘が起こりうるものならば --- つまりOathやCodeが魔法的拘束力を持つ様なものでなく、あくまでも法とか契約に過ぎないならば --- 戦闘は起きるものとして考えるべき」とも思えます。現代でも、死刑になると判っていても、殺人犯はいなくならないのです。
えーと、具体的に例を挙げるべきかな。例えば「忠臣蔵」の「松の廊下」みたいな状況を考えて下さい。Tribunalの席上で、面子を潰されたFlambeauがカッとなってMagiを殺し、廻りのMagiを蹴散らしつつ逃亡、みたいな状況は、無論Codeに反していて最後はWizards Marchの対象になるのだけど、最初の「カッとなって」の部分はどうするの?みたいな。
あるいは例えばinfernalなものに手を出しているMagiは、そもそもその時点でバレたら身の破滅な訳で、口封じの為の戦闘を躊躇う理由は無い。
更に言うと、何をしてもバレなければ良い、という考え方もあります。推理小説というのは、この手のバレなければいいという考え無くしては成り立たない。最後はバレるとしても「上手にアリバイを組めば/密室を作って自殺を装えば/目撃者を全部消せば/...」などなどの考えを犯人役が考えればこそのドラマです。で、邪悪なSGがそういうドラマを遊びたいと考えなくはない。
あと、まぁ、具体的に書くとあれなんだが、例えばGhostになっちゃったMagiとか出てくるシナリオとかもあるんですが、そもそもGhostなんでWizard's March怖くないし、狂ってるからCodeを守る保証ないし、老人ばっかりで強くて手が付けられないし...。
Covenantの中に逃げ込めば安全というのは、covenantの外にいる状況(大抵のシナリオ中行動はcovenantの外で調査とかしてますよね。無論ゲーム内時間はLab workが圧倒的に長いとしても)で起きる突発的な対立、あるいはNPCの意図的な行動には無意味です。
Covenant, Tribunal内部で政治闘争したりCertamenで決着つけたりする方が有利だ、というのと、MagiはMagiに絶対攻撃魔法を唱えない、というのは別物なんじゃないかなぁ、と思う訳ですよ。ドラマとして、自暴自棄になったNPCが理性的でない行動を取る、というのは充分予想される展開な訳で。
まぁなんていうか、SGが「このsagaにおいてNPCからPCに対してそういうことは絶対しない」と明言すれば別なんだが、無論SGはそういうことは約束しない訳です。
無論まぁ、そういう展開になったらPCはあっさり死ねばいいという考えもある。個々のPCではなくtroupe styleでsagaを遊ぶ以上、次のPCを作ればいいだけだもんね、みたいな。
---
それはそれとして、Magi vs Magiの戦いとは関係無く、「慣性の法則」が成り立たないのは非常に気持ち悪いというか納得がいかない感じ。ゲームバランス的にいうと、Regoが使えないtechniqueになっている様に思える...。
なんかVampire.Sにいさま氏が議論につきあってくれる様(大変感謝しております)なので、この機会に色々疑問点をはっきりさせようと思っていたりします。
> ArMにおいて、Magi同士の交戦はほとんど発生しません。
えーと、ほとんどのMagiが戦闘に参加しないというのは認めてもいいと私も思います。
一方で、「日常生活で滅多に起きない事」をシナリオとして扱う訳ですよね?世界にOoHのMagiが約1,000人いて、そのうち、990人にとっては戦闘は起きないと仮定していいのかもしれない。でもPCというのは不運な残りの10人であり、なればこそsagaの主人公なのだという考え方もあります。一生を平穏無事なLab workだけで過ごすならば、RPGとして遊ぶ必要はない --- それって単なるキャラメークじゃん --- みたいな。
そう考えると、「原理的に戦闘が起こりうるものならば --- つまりOathやCodeが魔法的拘束力を持つ様なものでなく、あくまでも法とか契約に過ぎないならば --- 戦闘は起きるものとして考えるべき」とも思えます。現代でも、死刑になると判っていても、殺人犯はいなくならないのです。
えーと、具体的に例を挙げるべきかな。例えば「忠臣蔵」の「松の廊下」みたいな状況を考えて下さい。Tribunalの席上で、面子を潰されたFlambeauがカッとなってMagiを殺し、廻りのMagiを蹴散らしつつ逃亡、みたいな状況は、無論Codeに反していて最後はWizards Marchの対象になるのだけど、最初の「カッとなって」の部分はどうするの?みたいな。
あるいは例えばinfernalなものに手を出しているMagiは、そもそもその時点でバレたら身の破滅な訳で、口封じの為の戦闘を躊躇う理由は無い。
更に言うと、何をしてもバレなければ良い、という考え方もあります。推理小説というのは、この手のバレなければいいという考え無くしては成り立たない。最後はバレるとしても「上手にアリバイを組めば/密室を作って自殺を装えば/目撃者を全部消せば/...」などなどの考えを犯人役が考えればこそのドラマです。で、邪悪なSGがそういうドラマを遊びたいと考えなくはない。
あと、まぁ、具体的に書くとあれなんだが、例えばGhostになっちゃったMagiとか出てくるシナリオとかもあるんですが、そもそもGhostなんでWizard's March怖くないし、狂ってるからCodeを守る保証ないし、老人ばっかりで強くて手が付けられないし...。
Covenantの中に逃げ込めば安全というのは、covenantの外にいる状況(大抵のシナリオ中行動はcovenantの外で調査とかしてますよね。無論ゲーム内時間はLab workが圧倒的に長いとしても)で起きる突発的な対立、あるいはNPCの意図的な行動には無意味です。
Covenant, Tribunal内部で政治闘争したりCertamenで決着つけたりする方が有利だ、というのと、MagiはMagiに絶対攻撃魔法を唱えない、というのは別物なんじゃないかなぁ、と思う訳ですよ。ドラマとして、自暴自棄になったNPCが理性的でない行動を取る、というのは充分予想される展開な訳で。
まぁなんていうか、SGが「このsagaにおいてNPCからPCに対してそういうことは絶対しない」と明言すれば別なんだが、無論SGはそういうことは約束しない訳です。
無論まぁ、そういう展開になったらPCはあっさり死ねばいいという考えもある。個々のPCではなくtroupe styleでsagaを遊ぶ以上、次のPCを作ればいいだけだもんね、みたいな。
---
それはそれとして、Magi vs Magiの戦いとは関係無く、「慣性の法則」が成り立たないのは非常に気持ち悪いというか納得がいかない感じ。ゲームバランス的にいうと、Regoが使えないtechniqueになっている様に思える...。
Comments:
すみません、ちょっとお返事できていないので後でキチンと議論しますが、一点のみ。
慣性の法則は、発見がガリレオによるものなので、そもそも「 Reality makes Belief である」が故に、Mythic Europe + OoH 環境では成立するべきでない法則です。
実際問題として、アリストテレスの物理論ではまさしく
・Rego で投げつけた物体が MR 境界領域をまたいだ場合、そこで運動量を失ってポトッと地面に落ちる
という現象が真になります。
というわけで、慣性の法則については、「現代人的な勘違いであって、むしろ積極的にメカニズムで認識を強制するべき」と思われます。なにしろ、すべてのプレイヤーがアリストテレス物理を理解している可能性は低い以上、“中世ヨーロッパの世界観”を再現するためには、メカニズム的強制が必要でしょうから。
なお、後で余力があれば OoH の魔術とアリストテレス・プロティノス・アウグスティヌス形而下・形而上学の関係について哲学史的補足をしておきます。 (Use This Comment Link)
慣性の法則は、発見がガリレオによるものなので、そもそも「 Reality makes Belief である」が故に、Mythic Europe + OoH 環境では成立するべきでない法則です。
実際問題として、アリストテレスの物理論ではまさしく
・Rego で投げつけた物体が MR 境界領域をまたいだ場合、そこで運動量を失ってポトッと地面に落ちる
という現象が真になります。
というわけで、慣性の法則については、「現代人的な勘違いであって、むしろ積極的にメカニズムで認識を強制するべき」と思われます。なにしろ、すべてのプレイヤーがアリストテレス物理を理解している可能性は低い以上、“中世ヨーロッパの世界観”を再現するためには、メカニズム的強制が必要でしょうから。
なお、後で余力があれば OoH の魔術とアリストテレス・プロティノス・アウグスティヌス形而下・形而上学の関係について哲学史的補足をしておきます。 (Use This Comment Link)
私の理解では、ArMがWhiteWolfから手が離れた後は、Mageのような "Belief defines Reality" は否定されたという認識なんですが違うのですか?
つまり、「我々の現実」+「魔法とか妖精とか」=「Mythic Europe」であって、"Belief defines Reality" では無いという認識なんですが。
逆に、"Belief defines Reality" で慣性の法則は無い、という立場に立てば投石器で射出した岩は、投石器を離れた瞬間にその場に落ちても良いわけですが、その辺はアリストテレスはちゃんと説明しているのでしょうか? (Use This Comment Link)
つまり、「我々の現実」+「魔法とか妖精とか」=「Mythic Europe」であって、"Belief defines Reality" では無いという認識なんですが。
逆に、"Belief defines Reality" で慣性の法則は無い、という立場に立てば投石器で射出した岩は、投石器を離れた瞬間にその場に落ちても良いわけですが、その辺はアリストテレスはちゃんと説明しているのでしょうか? (Use This Comment Link)
http://www.rpg.net/reviews/archive/12/12529.phtml
なる、RPGnetでのArM5のレヴュー記事の第3パラグラフには、
These similarities are for the most part intentional. Ars Magica was originally published by Lion Rampant, the company that would one day merge with White Wolf Magazine to become today’s White Wolf Games. During the White Wolf era of the game Ars Magica was billed at the medieval history of the World of Darkness. This, and the idea that belief defines reality, passed out of the game when it was sold by White Wolf to Wizards of the Coast in the early 1990’s. A strong link between the games remain in the system if not in the express setting.
とありますが...。 (Use This Comment Link)
なる、RPGnetでのArM5のレヴュー記事の第3パラグラフには、
These similarities are for the most part intentional. Ars Magica was originally published by Lion Rampant, the company that would one day merge with White Wolf Magazine to become today’s White Wolf Games. During the White Wolf era of the game Ars Magica was billed at the medieval history of the World of Darkness. This, and the idea that belief defines reality, passed out of the game when it was sold by White Wolf to Wizards of the Coast in the early 1990’s. A strong link between the games remain in the system if not in the express setting.
とありますが...。 (Use This Comment Link)
>ArMがWhiteWolfから手が離れた後は、Mageのような "Belief defines Reality" は否定されたという認識なんですが違うのですか?
いやぁ、どうも混乱させてしまったようで申し訳ありません。
26 January, 2007 16:41 付けのコメントで、私は以下のように記述しております:
### 引用開始
>慣性の法則は、発見がガリレオによるものなので、そもそも「 Reality makes Belief である」が故に、Mythic Europe + OoH 環境では成立するべきでない法則です。
### 引用終了
Reality makes Belief とは、takashi さんの
>"Belief defines Reality" の否定
に他なりません。ですから、
・Vampire.S の主張
と
・ArM4 以降、Beleief defines Reality は Mythic Europe の設定から外れたという事実
は、両者同じことを言っております。 (Use This Comment Link)
いやぁ、どうも混乱させてしまったようで申し訳ありません。
26 January, 2007 16:41 付けのコメントで、私は以下のように記述しております:
### 引用開始
>慣性の法則は、発見がガリレオによるものなので、そもそも「 Reality makes Belief である」が故に、Mythic Europe + OoH 環境では成立するべきでない法則です。
### 引用終了
Reality makes Belief とは、takashi さんの
>"Belief defines Reality" の否定
に他なりません。ですから、
・Vampire.S の主張
と
・ArM4 以降、Beleief defines Reality は Mythic Europe の設定から外れたという事実
は、両者同じことを言っております。 (Use This Comment Link)
次に、恐らく takashi さんが誤解された部分を解説いたします。
【主張:】ボニサグス先生が Hermetic Magic を開発するにあたり、準拠した物理はガリレオ・ニュートン物理(即ち、慣性の法則が存在する)では無く、アリストテレスの形而下学である。
【証明:】
もしボニサグス先生が Hermetic Magic の Rego Technique において、“慣性の法則”を発見した場合、Reality makes Belief の原則に矛盾することを以下に示す。
第一に、ボニサグス先生が Hermetic Magic を発明した時点において、“physica”とはアリストテレスによる形而下学であったということを確認する(※)。
さて、ボニサグス先生が汎魔術理論を構成するにあたり、非常な熱意を持って実験・観察した現象は、
・“いわゆる”魔術とParma Magica の関係
であった(これは、Houses of Hermes やその他の OoH 資料から明らか)。
そこで、仮に
・Parma Magica の境界をまたいだ Rego 魔術の Target の運動が、いわゆる“慣性の法則”を満たした
という現象をボニサグスが観測したと仮定する。
ところで、慣性の法則(??あるいは、それと等価な力学的エネルギー保存則や運動量保存則)は、アリストテレス物理の枠組みでは成り立たない(この辺の理由が知りたい場合、Wikipedia 等を参照して下さい)。
従って、ボニサグス先生はその段階で、
・Hermetic Magic とアリストテレス形而下学は矛盾しているという学術的指摘
を行う必然性がある。
ところが、ボニサグス先生はこのような指摘は全く行っていない。実際、ArM5 においては 〈Artes Liberales〉+〈Philosophae〉は Hermetic Magic の達成値を増大させることができるくらい、両者の理論的親和性は高い。
従って、ボニサグス先生のアリストテレス私論に対する無知という仮定も、あるいは Rego--Parma の実験を行わなかったという仮定も設定上無理があることから、
・Parma Magica をまたいだ Rego Target の運動に対して、“慣性の法則”は成り立つべきではない
という結論を得る(Q.E.D.)。
※……実際には、ボニサグス先生の時代(西暦 800 年頃)の西欧では、アリストテレスは論理学の祖としてのみ知られており、彼の形而上学や倫理学に対する業績は、西欧においてはあまりよく知られていなかった(西ローマ滅亡以降の文献散逸のため)。
この状況が改善するのは
・十字軍を経てイスラム文献からアリストテレスの業績が再構成される
12世紀以降の流れであるので、厳密に考えるとボニサグス先生はアリストテレスの Physica をそのままでは継承できていない。しかるに、ボニサグスの版魔術理論は、明らかにアリストテレス形而上学・形而下学の影響が見て取れるため、何らかの形でこれらの資料のギャップを埋める必要がある。
可能性としては二通りあって、
1. ボニサグス先生は(Cult of Mercury 等の遺産を継いでいた、あるいは Jerebiton により東ローマ帝国に残っていた異教資料が参照できた、等の理由により)ローマ教会が封印していた異教時代哲学の文章を別ルートで熟知していた
2. スコラ神学の大家であるアウグスティヌスは、アリストテレス形而上学+プロティノスのネオプラトニズムに基づいて神学を構成した。
で、実は Hermetic Magic における Magic Realm の諸現象説明は、原則としてアウグスティヌスによる Divine Realm (Pax Dei)の説明の引き写しになっている。
というわけで、Hermetic Magic のアリストテレス形而下学による影響は、アウグスティヌス由来という可能性も考えられる。
ちなみに、実際の所 1, 2. の両方ってのが、たぶん設定的に正しいんでしょう。 (Use This Comment Link)
【主張:】ボニサグス先生が Hermetic Magic を開発するにあたり、準拠した物理はガリレオ・ニュートン物理(即ち、慣性の法則が存在する)では無く、アリストテレスの形而下学である。
【証明:】
もしボニサグス先生が Hermetic Magic の Rego Technique において、“慣性の法則”を発見した場合、Reality makes Belief の原則に矛盾することを以下に示す。
第一に、ボニサグス先生が Hermetic Magic を発明した時点において、“physica”とはアリストテレスによる形而下学であったということを確認する(※)。
さて、ボニサグス先生が汎魔術理論を構成するにあたり、非常な熱意を持って実験・観察した現象は、
・“いわゆる”魔術とParma Magica の関係
であった(これは、Houses of Hermes やその他の OoH 資料から明らか)。
そこで、仮に
・Parma Magica の境界をまたいだ Rego 魔術の Target の運動が、いわゆる“慣性の法則”を満たした
という現象をボニサグスが観測したと仮定する。
ところで、慣性の法則(??あるいは、それと等価な力学的エネルギー保存則や運動量保存則)は、アリストテレス物理の枠組みでは成り立たない(この辺の理由が知りたい場合、Wikipedia 等を参照して下さい)。
従って、ボニサグス先生はその段階で、
・Hermetic Magic とアリストテレス形而下学は矛盾しているという学術的指摘
を行う必然性がある。
ところが、ボニサグス先生はこのような指摘は全く行っていない。実際、ArM5 においては 〈Artes Liberales〉+〈Philosophae〉は Hermetic Magic の達成値を増大させることができるくらい、両者の理論的親和性は高い。
従って、ボニサグス先生のアリストテレス私論に対する無知という仮定も、あるいは Rego--Parma の実験を行わなかったという仮定も設定上無理があることから、
・Parma Magica をまたいだ Rego Target の運動に対して、“慣性の法則”は成り立つべきではない
という結論を得る(Q.E.D.)。
※……実際には、ボニサグス先生の時代(西暦 800 年頃)の西欧では、アリストテレスは論理学の祖としてのみ知られており、彼の形而上学や倫理学に対する業績は、西欧においてはあまりよく知られていなかった(西ローマ滅亡以降の文献散逸のため)。
この状況が改善するのは
・十字軍を経てイスラム文献からアリストテレスの業績が再構成される
12世紀以降の流れであるので、厳密に考えるとボニサグス先生はアリストテレスの Physica をそのままでは継承できていない。しかるに、ボニサグスの版魔術理論は、明らかにアリストテレス形而上学・形而下学の影響が見て取れるため、何らかの形でこれらの資料のギャップを埋める必要がある。
可能性としては二通りあって、
1. ボニサグス先生は(Cult of Mercury 等の遺産を継いでいた、あるいは Jerebiton により東ローマ帝国に残っていた異教資料が参照できた、等の理由により)ローマ教会が封印していた異教時代哲学の文章を別ルートで熟知していた
2. スコラ神学の大家であるアウグスティヌスは、アリストテレス形而上学+プロティノスのネオプラトニズムに基づいて神学を構成した。
で、実は Hermetic Magic における Magic Realm の諸現象説明は、原則としてアウグスティヌスによる Divine Realm (Pax Dei)の説明の引き写しになっている。
というわけで、Hermetic Magic のアリストテレス形而下学による影響は、アウグスティヌス由来という可能性も考えられる。
ちなみに、実際の所 1, 2. の両方ってのが、たぶん設定的に正しいんでしょう。 (Use This Comment Link)
>逆に、"Belief defines Reality" で慣性の法則は無い、という立場に立てば投石器で射出した岩は、投石器を離れた瞬間にその場に落ちても良いわけですが、その辺はアリストテレスはちゃんと説明しているのでしょうか?
しています。四原因説、駆動因(または、“動作因”)を参照して下さい。
というか、Hermetic Magic の各 Technique はかなり厳密に四原因(+ ネオプラトニズム的意味での“空であることという原因”)に対応しています。即ち、
・Creo:質料因の補填
・Intellego:目的因の伝達
・Muto:形相因の付与
・Rego:駆動因の付与
・Perdo:“もしも target が存在しないのならば”と言う意味で、“空であるという原因”
の形で対応するわけですね。
ところで。
上記の対応関係は、形而上学/Metaphysica を勉強したことのある人間には“理解できる”対応関係なんですけれど、そりゃそれとして、そんな素養を高々一ゲームに求めるのは間違っている、と思います。
で、実は ArM1 ってのはそういう“間違った”ゲームだったんですよ。実際、ArM1 の“世界設定”の章には、立った一行しか書いていなかった。
「世界設定については図書館にありますので、皆様ご自由にお調べ下さい」
……実は、ArM1 ってのは大学の教養課程程度の“教養”を仮定した、同人ゲームだったんです(当時、作者の Jonathan Tweet と Mark Rein・Hagen は大学に在学していたはず)。というわけで、ArM1 以降 ArM4 まで、しばしば ArM の世界設定は著しく衒学的な性質を示します。
で、まぁ私個人はそういった衒学適正質がたまらんのですが、そりゃそれとしてこの辺の設定を理解していないと Parma の作用すら理解が覚束ないのでは、正直まともなゲームとは言えませんでしょう。
そういった理由から、ArM5以降では Parma のルールが簡略化(魔術が投射された Target は、MR境界領域をまたぐことができない)され、分かりやすくなっているわけでして。
繰り返しになりますが、ArM5 のメカニズムが怪しいのはその辺の理論的整合性を破棄してでも“ユーザーフレンドリーにしたかったから”であり、一方 ArM4 はそれらユーザーフレンドリーさを抜いて、厳密に中世哲学世界を楽しめる背景を提供することに注力しています(実際、Hedge Magic や Mysteries 等のサプリメントは ArM4 のパラダイム下において初めて機能するものでしたので)。
ですから、メカニズムとして第何版を用いたとしても、それはユーザーの自由です。その上で、もしArM5のParmaに不満があるのなら、その他の版を参照するのも一つの手だとは思いますが。 (Use This Comment Link)
しています。四原因説、駆動因(または、“動作因”)を参照して下さい。
というか、Hermetic Magic の各 Technique はかなり厳密に四原因(+ ネオプラトニズム的意味での“空であることという原因”)に対応しています。即ち、
・Creo:質料因の補填
・Intellego:目的因の伝達
・Muto:形相因の付与
・Rego:駆動因の付与
・Perdo:“もしも target が存在しないのならば”と言う意味で、“空であるという原因”
の形で対応するわけですね。
ところで。
上記の対応関係は、形而上学/Metaphysica を勉強したことのある人間には“理解できる”対応関係なんですけれど、そりゃそれとして、そんな素養を高々一ゲームに求めるのは間違っている、と思います。
で、実は ArM1 ってのはそういう“間違った”ゲームだったんですよ。実際、ArM1 の“世界設定”の章には、立った一行しか書いていなかった。
「世界設定については図書館にありますので、皆様ご自由にお調べ下さい」
……実は、ArM1 ってのは大学の教養課程程度の“教養”を仮定した、同人ゲームだったんです(当時、作者の Jonathan Tweet と Mark Rein・Hagen は大学に在学していたはず)。というわけで、ArM1 以降 ArM4 まで、しばしば ArM の世界設定は著しく衒学的な性質を示します。
で、まぁ私個人はそういった衒学適正質がたまらんのですが、そりゃそれとしてこの辺の設定を理解していないと Parma の作用すら理解が覚束ないのでは、正直まともなゲームとは言えませんでしょう。
そういった理由から、ArM5以降では Parma のルールが簡略化(魔術が投射された Target は、MR境界領域をまたぐことができない)され、分かりやすくなっているわけでして。
繰り返しになりますが、ArM5 のメカニズムが怪しいのはその辺の理論的整合性を破棄してでも“ユーザーフレンドリーにしたかったから”であり、一方 ArM4 はそれらユーザーフレンドリーさを抜いて、厳密に中世哲学世界を楽しめる背景を提供することに注力しています(実際、Hedge Magic や Mysteries 等のサプリメントは ArM4 のパラダイム下において初めて機能するものでしたので)。
ですから、メカニズムとして第何版を用いたとしても、それはユーザーの自由です。その上で、もしArM5のParmaに不満があるのなら、その他の版を参照するのも一つの手だとは思いますが。 (Use This Comment Link)
わたしの理解するところでは、アリストテレスは Physica では「投射された物体が動き続けるのは周りの空気が次々と動かされ物体に対して Movent として働くからである」と説明していて(Wikipedia、Physica(英訳))、この説明を適用してもなお Parma で運動が止まるべきだ、というのはちょっとよく分からないです。「目的地に到達するまで Rego で物体を動かし続ける」というケースと、「mundane な投射と同様に射出時の物体とその周りの空気だけを Rego で動かす」というケースがそれぞれあって、後者は Parma を越えて運動可能だが高い Finesse を要求する、ということでも構わないように思われます。
Mythic Europe には「慣性」は存在しない、という点にはわたしも同意しますが、我々の世界の中世ヨーロッパによく似た世界である、ということを保証する程度には「我々の世界の物理法則に従うかのように振る舞う」必要があるとも思っています。完全にアリストテレス的な力学に従う世界にも興味がなくはないですが、それは Mythic Europe のコンセプトと必ずしも両立しないのではないかと思う次第。 (Use This Comment Link)
Mythic Europe には「慣性」は存在しない、という点にはわたしも同意しますが、我々の世界の中世ヨーロッパによく似た世界である、ということを保証する程度には「我々の世界の物理法則に従うかのように振る舞う」必要があるとも思っています。完全にアリストテレス的な力学に従う世界にも興味がなくはないですが、それは Mythic Europe のコンセプトと必ずしも両立しないのではないかと思う次第。 (Use This Comment Link)
コメントどうもありがとうございます。
(1)"Reality makes Belief" である。「Belief = アリストテレスの物理論がある」、故に「Reality = アリストテレスの物理論に従う現実があったはず」、という論理展開である、と考えて宜しいでしょうか?>Vampire.Sにいさま。
「Mythic Europeとはそういうものだ」とするならば、一連の議論やArM5のルールが理解しやすいのは確かです。
ふーむ。というころは「アリストテレスの運動論」を良く読めばルールのループホールを見つけられるはずではありますね?
(2)逆に "Belief defines Reality" を採用した場合(WhiteWolf版?)も、「Belief = アリストテレスの運動論」故に、「Reality = アリストテレスの運動論に従う世界」、である。
つまり結局「慣性の法則は存在しない」、すなわちMythic Europeの物理法則自身は変化せず、その解釈が変わっただけだ、でOKでしょうか? (Use This Comment Link)
(1)"Reality makes Belief" である。「Belief = アリストテレスの物理論がある」、故に「Reality = アリストテレスの物理論に従う現実があったはず」、という論理展開である、と考えて宜しいでしょうか?>Vampire.Sにいさま。
「Mythic Europeとはそういうものだ」とするならば、一連の議論やArM5のルールが理解しやすいのは確かです。
ふーむ。というころは「アリストテレスの運動論」を良く読めばルールのループホールを見つけられるはずではありますね?
(2)逆に "Belief defines Reality" を採用した場合(WhiteWolf版?)も、「Belief = アリストテレスの運動論」故に、「Reality = アリストテレスの運動論に従う世界」、である。
つまり結局「慣性の法則は存在しない」、すなわちMythic Europeの物理法則自身は変化せず、その解釈が変わっただけだ、でOKでしょうか? (Use This Comment Link)
ふーむ。googleするキーワードを「inertia "Ars magica"」で検索すると確かに関連記事が見つかりますね。
scooping out the insides of a mage @ Atlas Games Forum
David Chartの書き込み
Fruny is right. In the official Ars Magica setting, the physical laws are different from those that hold in the real world. Diseases are caused by demons and bad air, not bacteria and viruses, and arrows keep going because the air pushes on them, not because of inertia.
別のDavid Chartの書き込み
There is no "belief causes reality thing" in Ars Magica, at least not in 4th or 5th edition. The medieval paradigm is not true because people believe it, people believe it because it is true. So magic is real, not dependent on anyone's belief, and inertia is not, again not dependent on anyone's belief.
The most relevant bits of the medieval paradigm are described in the core rules (the "no inertia" thing is in there, as is the cause of disease), and they are addressed in more detail in later books, as those particular areas come up.
Ars Magica is not set in the history of our world. For example, you cannot stand on the moon of Mythic Europe and look at the earth; even if the moon is solid, the natural place of a human being is still at the centre of the earth (and the centre of the universe, as these are the same place), so you would fall off. You could probably stand on the far side of the moon, though. Unfortunately, rockets would not work, as Newton's Third Law is not true. Fortunately, there is no vacuum between you and the moon, because vacuums cannot exist. Unfortunately, there is a sphere of fire, which might burn you up. Fortunately, Hermetic magic can protect you from fire. Unfortunately, Hermetic magic fails at the lunar sphere. (Use This Comment Link)
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scooping out the insides of a mage @ Atlas Games Forum
David Chartの書き込み
Fruny is right. In the official Ars Magica setting, the physical laws are different from those that hold in the real world. Diseases are caused by demons and bad air, not bacteria and viruses, and arrows keep going because the air pushes on them, not because of inertia.
別のDavid Chartの書き込み
There is no "belief causes reality thing" in Ars Magica, at least not in 4th or 5th edition. The medieval paradigm is not true because people believe it, people believe it because it is true. So magic is real, not dependent on anyone's belief, and inertia is not, again not dependent on anyone's belief.
The most relevant bits of the medieval paradigm are described in the core rules (the "no inertia" thing is in there, as is the cause of disease), and they are addressed in more detail in later books, as those particular areas come up.
Ars Magica is not set in the history of our world. For example, you cannot stand on the moon of Mythic Europe and look at the earth; even if the moon is solid, the natural place of a human being is still at the centre of the earth (and the centre of the universe, as these are the same place), so you would fall off. You could probably stand on the far side of the moon, though. Unfortunately, rockets would not work, as Newton's Third Law is not true. Fortunately, there is no vacuum between you and the moon, because vacuums cannot exist. Unfortunately, there is a sphere of fire, which might burn you up. Fortunately, Hermetic magic can protect you from fire. Unfortunately, Hermetic magic fails at the lunar sphere. (Use This Comment Link)