2005/06/08
[RPG] Defining Mastering Tone
2005-06-02 @ D16の日記
D16さんの日記で、彼がDACでDMするシナリオの紹介が出てます。なかなか魅力的なシナリオと思われる。
で、この記事のコメント欄で、マスタリング(DACサイトでは「プレイスタイル」と書かれているが)の分類を、パワー/ストーリー/バランスで分類している事とか、他に分類軸はあるか、みたいなことが。
RPG日本で、鏡さんは「収束型vs拡散型」という概念を議論している。D&D関係で良く語られる箱庭型マスタリングというのは拡散型なのではないかと。ただ、拡散型はあまりコンベンション向きではないよな。
私がマスタリング分類論みたいなことで影響を受けたサイトとして、Hollywood by Nightというのがある。これは無論、Hollywoodを舞台にしたV:tMのキャンペーンについてのページ。ここで行われているように、GMが自分のキャンペーンの性格付けなどなどをPLに説明するというのは非常に参考になるし、キャンペーン開始前にはこういうものを私も作る事にしている。いわば、キャンペーンの仕様書みたいなものですね。
で、前置きが長くなったが、ここでMood and Toneを定義する為に使われている概念として、PC Glow, Gleichman Ratings, Threefold Modelというのがある。これらはrec.games.frp.advocacyというUSENETのニュースグループの議論で定式化された概念です。最後のものはdramatist, gamist, simulationistという3つの軸で語るというもので、dramatistの代わりにnarativistを用いるGNSとか亜種も色々。この辺の話はいつかちゃんと紹介記事を書かないといかんなぁとは思っているんだが。
D&Dに特有の話として言うと、DMはどの程度ヒロイックな行動をPCに期待しているか、どの程度demigodやらavatarみたいなのがPCに介入したり救済したりするのか、なんてのは実は知りたい。
例えばダンジョンシナリオで、警備の石像かなんかとのかなりリスクの高そうな戦闘を、DMは一騎打ちを内心期待していたりして、パーティ全員ではなく一騎打ちをすると、ダンジョン中の泉が回復ポイント(なんか泉の精霊が出たりして)になったりすることもある。PLが雰囲気とかDMの傾向を読めれば一騎打ちを試みると思うが、特に理由が無ければリスク少なく戦闘しちゃうよな。
で、この「一騎打ちすると良い事がある」というのはD&Dではしばしば、「パワープレイvsストーリー志向」軸とは直交している(=無関係で独立)ように私には見えるのだ。つまり、ガチで一騎打ちをオープンダイスで楽しんだり、それが出来るPCを真面目に作る事が期待され、戦闘技能しか無い様なPCを作ってもOK。が、一方で必然性が無い(あるのかもしれないが自明ではない)一騎打ちを期待される事もある。
こういうのって、ルールの外にある話だし背景世界に記述のある話じゃなくて(少数の例外:RQでのフマクティの加護と制約とか除く)、DMがどの程度、ヒロイックを期待してる(あるいはそれとセットでの恩恵)かなんだよな。
私はこういう要素は --- 市販シナリオで指定があるか非常に明示的に一騎打ちの試練だと指定しない限りは --- マスタリングしてないつもり。無論、一騎打ちをすればそれを見たNPCは尊敬や信用は得られるがあくまで、NPCという人間レベルの話。なので、たまに他でPLするとDMのヒロイックへの期待をスルーしてしまったり。
D16さんの日記で、彼がDACでDMするシナリオの紹介が出てます。なかなか魅力的なシナリオと思われる。
で、この記事のコメント欄で、マスタリング(DACサイトでは「プレイスタイル」と書かれているが)の分類を、パワー/ストーリー/バランスで分類している事とか、他に分類軸はあるか、みたいなことが。
RPG日本で、鏡さんは「収束型vs拡散型」という概念を議論している。D&D関係で良く語られる箱庭型マスタリングというのは拡散型なのではないかと。ただ、拡散型はあまりコンベンション向きではないよな。
私がマスタリング分類論みたいなことで影響を受けたサイトとして、Hollywood by Nightというのがある。これは無論、Hollywoodを舞台にしたV:tMのキャンペーンについてのページ。ここで行われているように、GMが自分のキャンペーンの性格付けなどなどをPLに説明するというのは非常に参考になるし、キャンペーン開始前にはこういうものを私も作る事にしている。いわば、キャンペーンの仕様書みたいなものですね。
で、前置きが長くなったが、ここでMood and Toneを定義する為に使われている概念として、PC Glow, Gleichman Ratings, Threefold Modelというのがある。これらはrec.games.frp.advocacyというUSENETのニュースグループの議論で定式化された概念です。最後のものはdramatist, gamist, simulationistという3つの軸で語るというもので、dramatistの代わりにnarativistを用いるGNSとか亜種も色々。この辺の話はいつかちゃんと紹介記事を書かないといかんなぁとは思っているんだが。
D&Dに特有の話として言うと、DMはどの程度ヒロイックな行動をPCに期待しているか、どの程度demigodやらavatarみたいなのがPCに介入したり救済したりするのか、なんてのは実は知りたい。
例えばダンジョンシナリオで、警備の石像かなんかとのかなりリスクの高そうな戦闘を、DMは一騎打ちを内心期待していたりして、パーティ全員ではなく一騎打ちをすると、ダンジョン中の泉が回復ポイント(なんか泉の精霊が出たりして)になったりすることもある。PLが雰囲気とかDMの傾向を読めれば一騎打ちを試みると思うが、特に理由が無ければリスク少なく戦闘しちゃうよな。
で、この「一騎打ちすると良い事がある」というのはD&Dではしばしば、「パワープレイvsストーリー志向」軸とは直交している(=無関係で独立)ように私には見えるのだ。つまり、ガチで一騎打ちをオープンダイスで楽しんだり、それが出来るPCを真面目に作る事が期待され、戦闘技能しか無い様なPCを作ってもOK。が、一方で必然性が無い(あるのかもしれないが自明ではない)一騎打ちを期待される事もある。
こういうのって、ルールの外にある話だし背景世界に記述のある話じゃなくて(少数の例外:RQでのフマクティの加護と制約とか除く)、DMがどの程度、ヒロイックを期待してる(あるいはそれとセットでの恩恵)かなんだよな。
私はこういう要素は --- 市販シナリオで指定があるか非常に明示的に一騎打ちの試練だと指定しない限りは --- マスタリングしてないつもり。無論、一騎打ちをすればそれを見たNPCは尊敬や信用は得られるがあくまで、NPCという人間レベルの話。なので、たまに他でPLするとDMのヒロイックへの期待をスルーしてしまったり。
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