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2005/06/09

[Link] Re: So-called "Character Playing" 

「キャラクタープレイング論」その3「物語の中のキャラクター」 @ Scoops RPG

 仮想光線さんによる、「キャラクタープレイング論」の第3回。
 このシリーズは「TRPGはゲームではなく、集団で「物語創造」する遊びである」「物語創造が主であり、ゲームは従である」という立場から、TRPGの芸術的側面について議論している良い記事です。
 非常に興味深く毎回読ませて頂いてます。

 深淵に関する、『PCはその性格によって窮地に追い込まれ、そしてその性格を克服し真人間になることを目指すことが運命付けられます。』という意見は至極同意。天羅なんかでも、気合いを稼ぐ為の因縁と、最後に克服して書き換えること前提の因縁、みたいなのがあったよね。短所は短所として永続するのではなく、成長物語としてあるならば克服の対象ととらえるべきだよな。(ま、そういうこと言い出すと、良い初期装備は、物語中で失うものだ、という考えにも辿り着くのだが。それを了承するPLは少なかろうが。)

 GURPSやWoDの長所短所などのゲームシステムについて触れるなら、もうちょっと最近のRPG、たとえばAEG社の7th Sea(短所はポイントを払ってわざわざ取得する。取得することで、それに絡むようなシナリオをGMに作ってもらえるのだ)、あるいはAtlas GamesのArs Magica 5th EditionのStory Flaw(Flawといいつつ有利になるものもある。これもシナリオをGMが考えるネタという位置付け。)など、最近のRPGでは「短所=PCにとっての障害」ではなく「短所=PLからGMへのシナリオネタの提案」という面もある、などの話があるともっと良かったかもとか思ったり。

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